前編はこちら↓
「2日前にも来たばかりなんだけどさ」
西野が連れて行ってくれた近所のバーは、なぜ今まで知らなかったのだろうと不思議に思うほど素敵な店だった。
「マスターに『いつも違う女連れてる』って思われてそう笑」
私が茶化すと、西野は真顔で言った。
「ここに女性を連れてきたことはないよ」
まずい。デートすぎる。
私はなぜか逃げ出したくなった。
いやでも待て。西野のスペックは完璧じゃないか。
こんな人と結婚したら、私の親は泣いて喜ぶだろう。
私は自分で自分を落ち着かせて、西野の結婚観を掘り下げることにした。
「まだ結婚したいって思う?」
「うん。すぐにでもしたい。家に帰ったとき灯りがついていてほしい」
その感覚は同棲解消による一時的なショックだと思われたが、感情を表に出さない西野のその発言は意外だった。
「意外と寂しがりだね」
「うーん…そうなのかな。でも、会話とかはなくていいんだよね」
「え?」
「無言でも全然いい」
え!?
えぇぇぇぇぇ!?
何年も連れ添った夫婦が無言で過ごすのは分かるけど、最初からそのスタンス!?
「へぇ…そっか」
もし彼の発言が真意で、私の諸々が「許容範囲」というだけで付き合い、結婚できるのだとしたら。
たぶん、事あるごとに考えてしまうだろう。
私じゃなくてもいいんでしょ?と。
だが、しかし。
西野は穏やかで、怒ることも感情を露わにすることもない。
私がひたすら黙って本を読みお笑い番組ばかり見ていても、きっと文句を言わない。
二人で一人暮らしをするようなその関係性は、それはそれで尊い。
私は隣にいる西野が、そして自分の価値観が、分からなくなった。
「村上春樹好きでしょ?」
私が唐突に尋ねると、西野は心底驚いた表情を見せた。
「すごい。何で分かったの?」
やれやれ。わからないかな。
私には、村上春樹の文体について死ぬほど調べた時代があったんだ。
などと言えるはずもなく、笑って誤魔化した。
西野は言った。
「村上春樹はもちろん日本語もいいけど、英語版もいいんだよね。オーディオブックで延々聴いてる」
「さすが海外育ち。私も最近、久々に英語勉強してるところだよ」
「じゃあ今、英語で話していい?」
…パードゥン!?!?
「俺は英語で話す方がcomfortableなんだよね」
それから私たちは、1時間ほど英語で会話をした。
受験勉強だけで英語を習得し、全くもってネイティブレベルでない私は恐ろしく疲れたが、別れ際、明るく西野に言った。
「Thank you for the lovely dinner. Good night! 」
永久の別れの言葉が英語だったことは、後にも先にもこの1回だけだ。
私は惜しいことをしたのだろうかと、今もたまに思う。
完璧な結婚相手などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
ハルキなら、そんなことを言うだろうか。