文章だけで恋に落ちそうになったことが一度だけあった。
京都大学を出て税理士をしている若い彼、名はハルキ(仮)とする。
年齢は26歳。
Tinderに載せていた顔写真に髭を書き足してあり、シャイな子なのだろうと予想した。
好きな本を尋ねると、彼は村上春樹のエッセイを挙げた。
<よもや髭を書き足すハルキストがいるなど>
私が送ると、すぐに返信が来た。
<「ハルキストではないよ」僕は言った。「たまたま好きな本を書いたのが村上春樹だったってだけなんだ」>
文体模写!!!!!
私はこの返信に痺れた。
ハルキのプロフィールを何かいじろうと決めて写真をよく見ると、大学の卒業式で撮影したであろう一枚があった。
「○○大学卒業式」という立て看板の、大学名が加工で塗りつぶされている。
にも関わらず、学歴欄には「京都大学」の文字。
私は「村上春樹 文体模写」でググり、出てきたサイトを隅々まで読んで文章を作った。
<彼は鞄から銀色の毛抜きを取り出し、丁寧に髭を抜き始めた。
「一つ質問していいかな?」
私はスマートフォンから顔を上げて問う。
「京都大学って隠したい?あるいは隠したくない?」
彼は奇妙なものを見るような目でこちらを凝視した。まるで、実家に帰ると知らない犬がいたときのように。>
数時間後、返信がきた。
<やれやれ、わからないかな。適当なんだよ。どうでもいいんだ。どっちでもいいから適当なんだ。京都大学が本当だと思っているか、学歴に関係なくいいと思ってくれた女性とはこれでもマッチする。嘘だと思ってるか、学歴に関係なくナシだと思われたらマッチしない。だからそんなのどうでもいいんだよ。飴の小袋のギザギザの数よりどうだっていい。くだらないね。>
何だこのセンス。
まずい、たまらなく好きだ。
<彼は「なぜそんな当たり前のことを聞くのさ」というような顔を見せた。
そして再びスマートフォンに視線を落とし、高速で右スワイプを始めた。
「魑魅魍魎」私は冷めたコーヒーを啜り、続ける。「魑魅魍魎が跋扈していると思わない」>
<「思わない」僕はきっぱりと答えた。「思ってたらやってない」
魑魅魍魎が見たければ『妖怪大戦争』でも観ていればいいんだ。あるいは平日の会社に出勤すればたくさん見ることができる。>
<彼の目に映る私の姿が魑魅魍魎の類でないと仮定するならば、一体その目には何が映っているのだろう。
私は彼の目を覗き込む代わりに、コーヒーカップの中に視線を落とした。
彼が次の言葉を発するのを、こうして待っているしかない。GoToキャンペーンを利用して実家に帰るつもりでいる会社員のように。>
<ショートボブが好きなんだ。だから魅力的な女性が一人だね。>
<「やれやれ」私は心の中で呟き、残り僅かになった今年の手帳を開く。そこには空白があった。(まるで気まぐれに飲み会や配信ライブの類を入れるためにあるかのような――そんな空白が)>
返事はたった1行だった。
<遊ぼか>
そうして私たちは文体模写遊びをあっさり終わらせた。
文才がある人に弱い私は彼への興味を抑えきれず、スタバの何とかフラペチーノを奢ると約束し、彼の住む街まで電車で行った。
スタバで向かい合って座る。
実物のハルキは、森山未來を暗くした感じの、家で爆弾を作っていそうな痩せた青年だったが、それでも私は未だかつてないほどに緊張していた。
年上の余裕を必死で演じ、改めて自己紹介をした。
次は彼が喋る番だ。
「僕、△X○が□*Xで」
…ん??
「△X○の時に京都で□*X★だったんですけど」
いやいやいやいや声ちっせぇぇぇぇぇぇ!!!!!!
京都で生まれ育ったハルキは、恐ろしく小さな京都弁で話を続けた。
もしかして私が知らないだけで、これが本場の京都弁なのだろうか?
度々聞き返しながらどうにか小一時間ほど会話を続け、カップが空になったので外に出た。
駅まで見送ってくれるというハルキは、外に出ると少し声が大きくなった。
スタバの他のお客さんに会話を聞かれるのが恥ずかしかったのかも知れない。
駅までの10分ほど、ハルキの発する言葉はセンスに溢れていて、あぁやっぱりこの人は只者ではない、と私は素直に尊敬した。
「普段から何か書いてるの?」
聞くと、「全然」と言う。
「ハルキ君は才能があるよ。何か書きなよ」
私は100%の本音で言った。
連絡先を交換して別れた後、「ご馳走さまでした」というLINEが可愛い絵文字と一緒に届いた。
それから半年以上が過ぎて、偶然ハルキに向いてそうなある文学賞を見つけた私は、久しぶりにLINEをした。
<こんなのあるよ。出してみたら>
<へぇ。書いてみようかな>
絶対書けよ、と心の中でつぶやいた。
最後に、もしこのブログがハルキ本人の目にふれる日が来たとしたら。
文体模写の著作権とかよくわからないけど、無断で転載してごめんなさい。
私は君が書いたものが読みたいと、今も心から願っている。