10年来の友人と結婚する世界線の話⑩

その日は眠れぬ夜を過ごしたが、年末年始休暇だったため、友達に会う予定が大量にあったのは幸いだった。

 

「結婚したことを黙ってるようなヤバい奴と、海苔子が結婚しなくてよかった」

 

親友(以下A子)にそう言われたとき、その通りかもしれないなと思った。

 

私は気になっていたことを、A子に聞いてみることにした。

 

「でもひとつ不思議なのがさ、タクヤはあの投稿を見られたくなくてLINEの名前を変えたわけじゃん?それなら投稿を全体公開にしなきゃよくない?他の投稿は見られないから、やり方を知らないとかじゃないと思うんだよね」

 

「うん、私もそこ気になってた。矛盾してるよね。奥さんタグ付けまでして」

 

私たちはこの矛盾についてしばらく考え続けたが、結局答えは出なかった。

それでもA子と話せば話すほど、心が軽くなっていくのを感じた。

 

数日後。

A子から突然「いま電話できる?」とLINEがきて、私は通話ボタンをタップした。

 

「海苔子、あの謎が解けたかも」

 

彼女の仮説はこうだった。

 

パイロットは1年の半分が外泊のため、浮気しようと思えばいくらでもできる環境にある。

それを心配したタクヤの妻が、浮気防止のため「Facebookに全体公開でこういう投稿をしろ」と指示したのではないか?

彼が渋々それに従ったならば、全体公開したことも、わざわざ妻をタグ付けしたことも、そしてLINEの名前を変えたことも、全て筋が通るー

 

「探偵かよ」

 

いつしかタクヤに言われた言葉を、私はA子に返した。

 

「その通りだと思う。すごいよA子」

 

「私も自分で天才かと思った笑」

 

「ずっと悲しかったけど、なんかだんだん腹立ってきたな」

 

「今度会ったらガツンと言ってやりなよ」

 

「でもさ、私が知ってるってことを彼は知らないわけじゃん?Facebookこっそり見たとか言えないし」

 

「そっか。たしかに…。今度いつ会うの?」

 

「決まってないし、誘われても行かないかもなぁ…」

 

年が明け、休暇を終えて私は大阪に戻った。

 

会社では、次年度の異動希望を出すタイミングが近づいていた。

 

私が大阪で仲良くなった人の多くが転勤族で、当時付き合っていた彼氏もまたそうだった。

東京に戻る一択の私と違い、4月には47都道府県どこに行くかわからない状況の彼との未来が見えず、雲行きが怪しくなり始めていた。

 

もし、タクヤと付き合う可能性が少しでもあったならば、私はひょっとすると、東京に戻る選択を視野に入れていたかもしれない。

 

でも、その可能性はゼロになった。

今の彼氏とは別れるかもしれないが、それでも圧倒的に仕事が楽しい大阪に、もう少しいたい。

 

私は迷わず ”現職を希望” を選択した。

 

1月の半ば頃。

 

<1月◯日、大阪ステイなんだけど、ごはん行ける?>

 

何も知らないタクヤから、食事の誘いがあった。

 

スケジュールを見ると、その日はたまたま出張が入っていて、悩むまでもなく物理的に不可能だった。

 

<出張で大阪にいないや>

 

<そっか、残念。また連絡する!>

 

どの面さげて、言ってんの?

 

このとき出張がなければ、私は会いに行っただろうか。

言いたいことをぶちまけられただろうか。

それは今でも分からない。

 

しかし、タクヤの方もまた、新婚というステータスに後ろめたさが芽生えたのだろう。

 

それ以降、食事の誘いは途絶えた。

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話⑨

何食わぬ顔で待ち合わせ場所に向かい、乾杯してすぐ、私はぶっ込んだ。

 

「あのさ、マッチングアプリとかやってる?」

 

「え?笑 なに急に。やってないよ」

 

「じゃあ何でLINEの名前変えたの?」

 

「あー…別に理由はないよ。なんとなく」

 

「怪しすぎる」

 

「いや本当だって。訓練中、海外で同期がやってるの見て面白そうだなーとは思ってたけど」

 

「あ、分かった。パイロットって地方に泊まること多いじゃん?現地で引っかけた女の子に本名知られて、会社名バレると都合が悪いからだ?」

 

「探偵かよ笑 そんなに遊んでないし」

 

「いや絶対そうじゃん!」

 

こんなやりとりをしばらく続けたが、結局タクヤは理由を教えてくれなかった。

 

しかしこの日。

恋愛の話を不自然に避けてきた私たちが、初めて片足だけ突っ込めたような、そんな感覚があった。

 

12月の寒い夜だった。

 

飛行機は季節風の影響を受けるため、同じ区間でも夏と冬では飛行時間が変わる。

パイロットはそれで季節の変化を感じるのだと、私はこの日、タクヤに教わった。

 

年末に差し掛かった頃。

仕事を納めて年末年始休暇に入った私は、翌日からの帰省の荷造りを終えて、暇を持て余していた。

 

空白の時間にふと、タクヤのことを思い出した。

 

アプリはやってない。

でも、本名を知られると都合が悪い。

 

つまり、検索されると困るものが、ネットに出ている…?

 

なんとなくスマホFacebookを開き、タクヤの名前を打ち込んだ。

 

私たちはFacebook上の友達ではなかったが、お互いFacebookをやっているということは知っていて、私はその昔、彼のプロフィールをこっそり見たことがあった。

 

投稿しない主義なのか、友達だけ公開の設定にしているのかわからないが、その時のタイムラインがほとんど空っぽだったことを覚えていた。

 

見覚えのあるプロフィール写真を、タップする。

 

タクヤのプロフィールに飛ぶと、タイムラインの一番上に、新しい投稿が見えた。

 

<11月◯日、XXXXさんと入籍しました。>

 

絶句した。

 

添付された写真の、タクヤの隣には私の知らない女性がいて、二人揃って薬指に指輪を嵌めた左手の甲をカメラに向けていた。

 

え…?先月…?

何で?

10月も12月も会ったよね?

その間に結婚してたの?

何で?

何で何も言わなかったの?

 

私を友達と思っていたなら、何で教えてくれなかったの?

あなたにとって私は、何だったの…?

 

殴られたような衝撃が走り、頭が熱かった。

 

夢であってくれ。

いま目に映るこの景色が、どうか全部夢であってくれ。

 

そう祈りながら、ご丁寧にタグ付けされたタクヤの妻のプロフィールに飛んだ。

プロフィールを見る限りはあまり特徴のない女性で、私はますます分からなくなった。

 

何で?

え、何でよ。

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話⑧

私には前日の夜から、迷っていたことがあった。

 

「彼氏いるの?」と聞かれたら、何て答えよう。

 

いる、と答えたくない。

タクヤへの気持ちが、完璧に消えたわけではないからだ。

でもだからといって、嘘は吐けない。

 

もういいや、その時の気分で決めよう。

 

私は明日の自分に対応をぶん投げて眠ったが、そんな心配は杞憂に終わった。

 

「見て。俺のスマホ、天気アプリが5個入っててさ、」

 

晴れて副操縦士になったタクヤは、仕事で使うという5つの天気アプリの違いについて真っ先に解説した。

 

きょ…興味ねー…

最初にする話、もっとないのかよ。

3年ぶりだぞ?

私が結婚しててもおかしくないぞ?

彼氏いるの?って聞けよ!!!

 

「へぇ。気象予報士にもなれそう笑  フライトはどう?楽しい?」

 

「うーん…機長次第かな。あの狭い空間に二人きりだから、合わないとけっこうキツい。海苔子は?」

 

「本社にいた頃よりずっと楽しい。ついに仕事でジャルジャルに会えてさ、」

 

私も私だった。

3年という月日を経てもなお、私たちの間には恋愛の話を振ってはいけないという暗黙の了解があった。

 

そうして上っ面の近況報告をし合い、踏み込んだ話を一切しないまま店を出た。

いかんせん3年ぶりなので、恋愛の話を避けてもまだまだ話すことはあったが、2軒目には行けなかった。

 

パイロットはフライトの◯時間前からは禁酒という厳しいルールを課せられていて、1軒目で既にその時間を過ぎてしまったからだ。

 

「海苔子、全然変わってなくてよかった。また大阪ステイの時は連絡するよ」

 

「うん。お店開拓しとく」

 

家に帰ると、どっと疲れが出てきて、自分が緊張していたことに気づいた。

 

でも、再会できた。

大阪にいたおかげで、再会できた。

きっとこれからも会える。

 

相変わらず恋愛の話を振ってくれないところは残念だったが、やっぱりタクヤとは、縁があるのではないか…?

 

大阪にいる彼氏に罪悪感を覚えながらも、私はタクヤとの関係性が変わることを、ぼんやり期待し始めていた。

 

その後、タクヤと私は、1~2ヶ月に1度のペースで、大阪で飲みに行くようになった。

 

何度会っても恋愛の話を振られることはなく、なおかつ私はこの頃付き合っていた彼氏のことがちゃんと好きだったので、次第にタクヤのことをいつかの彼氏候補ではなく、ごはんを奢ってくれる男友達と認識し始めていた。(すまん)

 

ある冬のこと。

 

<12月◯日大阪ステイなんだけど、夜空いてる?>

 

いつものようにタクヤからLINEが届いたが、私はあることに気づいた。

 

LINEの名前が、変わっている。

 

それまでフルネームだったものが、「Takuya.K」のような、名字を濁す表記に変わっていた。

 

こいつ…もしや…マッチングアプリ始めた!???

本名を濁すってそういうことじゃね?

それしかなくない??

え、やだ。

やめてくれぇ!!!

 

※当時の私はまだマッチングアプリ芸人ではなかったが、同僚がアプリをやっていたのでLINEの名前を変える不自然さについての知識はあった。

 

勝手に友達認定をしたにも関わらず、タクヤがアプリを始めた(かもしれない)ことに私は自分でも驚くほど落ち込んだ。

 

私がいるのに?

お前さえその気なら落とせるいい女が、ここにいるのにか!?

 

<空いてるよ!19時にXXXでどう?>

 

この件については会った時に話そうと決め、私は文面では何も触れず、タクヤに会った。

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話⑦

海外訓練は2年と聞いていた。

 

時差があるうえ、現地では寮生活ということもあり連絡はぱったり途絶えたが、半年に一回くらいのペースで「久しぶり。元気にしてる?」的なLINEが届き、たまに短い電話もした。

 

私はそのたびに「忘れてほしくないんだな、ふふふ…」と思い喜んでいたが、一方で、大阪に新しい彼氏ができた。

 

あれほどつらかった大阪での日々は、最高に楽しいものになっていた。

仕事も恋愛も絶好調で、このまま東京に戻らず、大阪で生きる人生もありなのでは?とまで考え始めていた。

 

あっという間に2年が過ぎ、タクヤは無事に海外訓練をパスして帰国し、国内で最後の研修を終えた。

 

最後に焼肉に連れて行ってもらった日から、3年以上が経っていた。

 

ある平日の、夜の11時くらいのこと。

私は風呂を済ませてパジャマに着替え、もうあとは寝るだけという状態で本を読んでいた。

 

すると、タクヤから着信があった。

 

「久しぶり。どうした?」

 

出ると、タクヤは私に尋ねた。

 

「いまどこにいる?」

 

「家だけど…何で?」

 

「今日、最後の試験に合格して、副操縦士になれた」

 

「えっ!おめでとう!」

 

彼が血の滲むような努力をしてきたのを知っていたから、素直に嬉しかった。

 

「ありがとう。それで今日さ、大阪ステイなんだよね」

 

心臓がドクンと鳴った。

 

「どこ泊まってるの?」

 

「XXXホテル」

 

「そこ、私の職場近いからランチ行ったことあるよ」

 

「じゃあ今から来ない?泊まって明日そのまま出社したらいいじゃん」

 

…え?

…えぇ!?

 

いやいやいや無理無理無理!!!

3年も会ってないのに、ホテルで再会は無理!!!

 

「さすがに無理だよ」

 

「何でよ。前はうちに泊まりに来てたじゃん。ベッド2つあるし、何もしないって」

 

泊まったところで、本当に何もないのだろう。

それはわかっていたが、いかんせん3年ぶりである。

 

彼が海外で激太りしてたり、ハゲてたりする可能性もある。

普通に怖い。

 

「ごめん無理。でもいろいろ話したいし、また大阪に来ることがあったら教えて。飲もう」

 

「わかった。大阪ステイ、今後ちょこちょこありそうなんだよね。また連絡する」

 

2週間後。

 

<◯月◯日、17時に伊丹着いて大阪ステイなんだけど、ごはん行かない?>

 

今度は事前にちゃんと連絡があり、私たちは3年ぶりに再会することになった。

 

私が予約したお好み焼き屋の前で待っている間、吐きそうなほど緊張した。

 

激太りしてませんように。

ハゲてませんように。

できれば彼女がいませんように。

 

そう祈っていると、こちらに向かって歩いてくる男が見えた。

タクヤだ。

 

え、なんか太ってない!?

 

それによって緊張がほぐれた。

 

「久しぶり。太った?笑」

 

「向こうで毎日パスタ作って食べてたら、10キロ太った」

 

彼は元々かなり痩せていたので、10キロ太ってもデブという感じではなかったが、3年前とのギャップに笑った。

 

「でももう帰国してだいぶ経ってるでしょ。体重戻らないの?」

 

「ほら、パイロットって座りっぱなしだからさ」

 

そうして笑いながら、3年ぶりの乾杯をした。

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話⑥

何もかも、異動のせいだ。

 

私は人事部を心の底から憎んだが、もう大阪に来てしまったからしょうがない。

 

楽しむ努力をしよう。

 

そして私は気持ちを切り替え、4月の終わりにはネットで見つけた謎のオフ会に顔を出していた。

※当時、まだマッチングアプリをやっている人はほとんどいなかったが、Facebookなどでオフ会の宣伝を見かけることはよくあった。

 

古い引き出しもたくさん開けた。

 

大学時代、ボリビアを旅していた時に知り合った日本人女性が関西にいたことを思い出して再会したり(彼女は後に親友になった)、連絡先さえ知らない高校の同級生が大阪にいると噂で聞けば、Facebookで友達申請をしてから飲みに誘ったり、とにかく必死で頑張った。

 

すると、友達が何人かできた。

 

仕事も徐々に慣れてきて、慣れてしまえば本社よりはるかに楽しかった。

 

大阪ならではの芸人取材が何度もあり、熱烈なファンだったジャルジャルの二人と話せた時は「あぁ、このために私は異動になったんだわ」と勝手に納得した。

 

そうしてバタバタと半年が過ぎた頃。

 

久しぶりにタクヤから電話がかかってきた。

 

「何?」

 

あえて雑な第一声を放つと、タクヤは「冷たくない?」と言って笑った。

 

半年前、私がどれだけ傷ついたと思ってんだよ。

許さねぇからな!!!

 

そう思いながらも、何の用かと話を聞いた。

 

「◯月◯日から、訓練に行くことになった」

 

パイロット採用の同期が数十人いるため、海外訓練は何段階かに分けて投入されるらしかった。

自分がいつ呼ばれるかわからない、早く行きたいと、タクヤは以前からそう言っていた。

 

「やっと決まったんだ。よかったね」

 

「うん。でさ、その前に国内で座学の研修が始まったんだけど、勉強が難しすぎてさ…」

 

それからタクヤは、いかに研修の科目が多く難易度が高いかと愚痴をこぼし、弱音を吐いた。

 

「周り東大とか出てる人ばっかりなんだよ。それに俺、文系なのに航空力学とかマジでわかんなくて、もうついていける気がしない」

 

おい。

いつまで学歴コンプ引きずってんだよ。

そこまでいったなら努力するしかねぇだろ。アホか。

 

てかお前にとって私は何なんだよ。

私が一番つらい時は突き放したくせに、自分の都合のいい時だけ電話してくるのかよ。

ただの吐け口か???

は???

 

頭の中に罵詈雑言を浮かべながら、しかし私は、こんな時でさえ計算高かった。

 

一瞬であらゆる可能性をシミュレーションした。

 

いま優しくしておけば、後でリターンがあるかもしれない。

やっぱりいい女だったと、どこかでふと思い出すかもしれない。

 

タクヤなら、絶対に大丈夫」

 

私は力強く言った。

 

タクヤは努力家だから。~~の時も、XXの時も、誰よりも頑張ってたじゃん。私、そういうところ、すごい尊敬してるよ」

 

「…ありがとう」

 

え、素直だな。

 

「またかけるわ」

 

彼はそう言って電話を切った。

 

スマホを置いて冷静になると、じわじわと喜びが溢れてきた。

 

終わってなかった。

 

まだ、終わってなかった!!!

 

それから、週3回とまではいかずとも、たまに電話がかかってくるようになった。

 

彼も勉強が忙しかったので無言で繋ぐあの時間はもうなく、弱音を吐かれては励ますだけの、応援団的な役割でしかなかったが、それでも嬉しかった。

 

さらに半年が過ぎた頃。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「頑張って」

 

出国直前に電話でそう話し、彼は旅立って行った。

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話⑤

内定式の時だったろうか。

たしか人事部長は、内定者全員に向かってこう言っていた。

 

「大阪にも編集部はあるが、規模が小さいし、関西出身者が異動希望を出して行くケースがほとんどだから、君たちが転勤になる可能性は2%くらい」

 

私はその2%に入ってしまったらしい。

 

自分の不運を呪った。

 

ほんの一瞬で、いろんなことが頭を駆け巡った。

 

タクヤに会えなくなってしまう。

いやでも、彼もそのうち海外に行くか。

転勤はせいぜい3年だろうし、同じタイミングで東京に戻って来れたりするのかな?

ん、ちょっと待て。

マンションの更新料10万、先週払ったばっかなんだが?

4月の武道館ライブ、チケット取ったのに行けないじゃん。

え、てか何で私なの??

大阪に異動希望出してた人、他に何人もいたの知ってるんだけど?

何でいま言うの?遅くない?

これは、もしかして夢???

 

その間も人事課長は、なぜ私なのかという理由と、今後の手続きや家探しのことなどを30分ほどかけて説明していたようだったが、頭が真っ白でほとんど聞こえなかった。

 

帰宅して冷静になり、タクヤに電話をかけて転勤が決まった旨を伝えた。

 

「え、マジ?笑」

 

彼は終始明るいトーンで、「もう飲みに行けないね~」と茶化すように言った。

感情が、読めなかった。

 

「飛行機タダなんでしょ?遊びに来てよ」

 

「うん、行くよ。引っ越しはいつ?」

 

「3月末。早く家探さなきゃ」

 

「じゃあ引っ越しの前に壮行会してあげるね」

 

そうして3月の終わり、彼は当時の我々が行くにしては高級な、夜景の見える焼肉屋に連れて行ってくれた。

 

タクヤはいたって普段通りでしんみりすることもなく、私はそれが嬉しかった。

食事には行けなくなるけれど、電話ならいつでもできる。

私たちの関係は変わらない。

そう思えた。

 

そして私は新幹線の片道切符を買って、縁もゆかりもない大阪に引っ越した。

 

大阪の編集部の人たちは優しく迎えてくれたが、若手が少なく(私が最年少だった)、仕事も本社とは違っていて、慣れないことだらけでしんどかった。

 

休日は家の片付けが終わると、やることが何もなかった。

友達がいないからだと気づいた。

 

タクヤから週3回かかってきた電話は、4月1日以降、ぱたりと止んだ。

武道館ライブのチケットはネットで売り払った。

 

何もかもがつらくて、本当に毎晩泣いた。

 

必死で2週間生きた後、私は痺れを切らして、タクヤに電話をかけた。

 

「どうしたの?大阪慣れた?」

 

彼は何事もなかったかのように出た。

 

「つらい。東京に帰りたい」

 

私が弱音を吐くと、彼は「いや大丈夫でしょ笑」と軽率に励ました。

その軽さに、腹が立った。

 

極め付けに、こう言われた。

 

「そっちで彼氏つくればいいじゃん」

 

…は???

私のこと好きなんじゃなかったの?

 

この1年以上にわたる思わせぶりは、何だったの!???

 

涙が溢れてきて、私はそれをタクヤに知られたくなくて、「もういい」と言い捨てて電話を切った。

 

こうして私は、第1回目の失恋をした。

(2回目があるなんて思ってもなかったが)

 

続く。

10年来の友人と結婚する世界線の話④

「息子がXX大学に入ったって、母親の友達に嘘吐いてたんだよね」

 

タクヤは自身の学歴に軽いコンプレックスがあった。

本当は私の出身大学に入りたかったと、再会して間もない頃に聞かされてもいた。

 

息子の学歴を詐称をする母。

やべぇぇぇ…

ほんで住所を詐称してたお前も、完全にその遺伝子継いでるぞ?

 

「それが発覚して以来、あんま母親と仲良くないんだよね。でも、子供の頃から『パイロットはいいよ』って言い聞かされて育ったから、パイロットを目指したのは完全に母親の影響」

 

「お母さんの写真ある?見たい」

 

タクヤのぱっちりした目と高い鼻をまじまじと見て、お母さん綺麗な人なんだろうな、と思った。

 

そして「ちょっと古いやつだけど」と前置きして見せられた母親の写真は、彼にそっくりな、目鼻立ちのはっきりした美人だった。

 

その日は土曜日で、タクヤは美容院の予約があると言って昼頃に帰って行った。

 

ほとんど眠れなかった私はちゃんと寝ようと布団に潜り込んだが、タクヤの香水の匂いが残っていたせいで興奮して眠れず、あらためて彼との今後について想いを巡らせた。

 

そして、結論づけた。

 

いま、無理に付き合う必要はない。

 

どうせ彼は数年後、訓練で海外へ行ってしまう。

私が3年以上付き合った元カレと別れた原因は、その人の転勤にあった。

遠距離恋愛は向いてない。

 

この宙ぶらりんな関係を続けながら、タクヤが帰国して副操縦士になれたタイミングで付き合えばいい。

年齢的にも今はまだ若すぎるが、その頃には結婚も現実的になるはずだ。

 

うん、それがいい!!!

 

今思えば能天気すぎて笑えるが、当時の私は本気でそう考えていた。

 

そうして私たちの、付き合う一歩手前の曖昧な時期は、信じられないことに1年以上も続いた。

 

毎月欠かさず食事に行き(相変わらず全奢りだった)、週に3回は電話をして(半分以上は無言だった)、それでもあなたのことは好きだよというオーラを小出しにしようと、バレンタインは手作りし(後にも先にもこの時だけだ)、彼の誕生日は盛大に祝った(その日だけは私がお金を払うことを許された)。

 

家に泊まりに来てほしいと言われ、一軍の下着を身につけて行ったこともあったが、本当に何も起きなかった。

手を握ることさえなく、ただシングルベッドで一緒に眠った。

だから何回か泊まった。

 

同時進行でこっそり別の人と付き合ったが、心から好きになることができず、すぐに別れた。

タクヤが私に恋愛の話を振ってくることはなかったので、何があっても「聞かれてないから言ってないだけ」というスタンスを貫いていた。

 

タクヤが海外に行くまで、こんな日々が続くのだろうと信じて疑わなかった。

 

ところが、社会人2年目が終わろうとしていた頃。

 

いつも通り会社で仕事をしていると、デスクの内線が鳴った。

 

「お伝えしたいことがあるので、今から総務室に来れますか?」

 

人事課長だった。

 

え!私、何かやらかした???

仕事中にTwitter見てるのバレた???

 

緊張しながら総務室のドアを開けると、人事部長と人事課長が横並びで座っていた。

そして、私が着席するや否や、こう告げられた。

 

「4月1日付けで、大阪支社・XXX編集部への異動を命ずる」

 

頭が真っ白になった。

 

続く。