実家暮らしのデブ研究者

慶応卒、研究者、35歳、名前は岡崎(仮)。

 

<フランスに留学していて、久しぶりに日本に帰ってきました>

 

世界各国で撮った写真と、遠目ではあったが大谷翔平を思わせる顔立ちが目に留まった。

 

私は何度もこのブログに「研究者の話はつまらん」と書いてきたが、海外を飛び回っている人は例外で、面白いことが多い。

 

マッチしてしばらくやり取りをし、丁寧な文章に好感をもった。

 

<よければお会いしませんか?場所と時間は融通が効くので、海苔子さんに合わせます>

 

岡崎がそう言ってくれたこともあり、私が新宿で仕事があった日の夜、居酒屋で待ち合わせることにした。

 

「海苔子さんですか?」

 

声がして振り向くと、写真とは似ても似つかない小さいデブがそこにいた。

 

メガネをかけているが、顔立ちも体型もほぼ岡崎体育である。

 

おぉぅ、久々だぜこのパターン…

私は速攻で帰りたくなった。

 

カウンターに横並びで座ると、1時間で切り上げようと心に決め、スピードメニューを中心に「これが食べたい」と主張した。

 

何を言っても「いいですね~」と肯定する岡崎。

声が高い。

 

私が手に持ったメニューを覗き込む岡崎。

顔が近い。

 

ボタンシャツから実家っぽい柔軟剤の匂いがして、五感の全てでストレスを感じた。

 

私は全てのアポにおいて、手ぶらで帰りたくない。

恋愛対象として厳しい相手ならばいっそう、何かしら有益な話を引き出してやろうと燃える。

 

しかし「騙された」という感覚が先にくると、もう駄目だった。

 

聞きたいことが、びっくりするほど出てこない。

 

それでも料理をつまみながら、私はとりあえず岡崎の経歴を聞いた。

 

「大学で国際政治を専攻してて、そのまま院に行って、フランスに留学して帰ってきた。院生の頃に本を出したことがあるんだけど、今はまた執筆したり翻訳の仕事をしたりしながら、教授のポストを探しているところ」

 

「へぇ、本出したことあるんだ」

 

「専門書だけどね。翻訳の方は、その本を出した編集者に頼まれて。まぁ、どっちもなかなか売れないけどね…」

 

私が業界人だからか、岡崎は控えめに言った。

 

「文系で院までいく人って私の周りにはほとんどいなかったんだけど、就職は考えなかったの?」

 

「就活は少しだけしたよ。でも僕、タバコ吸うんだけど、キャンパスの喫煙所で同級生が話してるのを聞いて、嫌になってやめた」

 

「どういうこと?」

 

「この間サッカーを見た、女の子と遊んだ、そういえばどこどこの面接でさ~、って、並列で語るわけよ。あ、なんか合わないって思った」

 

それの何が悪いんだろうか。

 

多分こいつはアレだ。

就活しない俺かっけーと酔ってたタイプだな。はいはい。

 

「海苔子さんは、Tinderよく使うの?」

 

「うん、何人か(=100人以上)会ったかな」

 

「そっか。僕はフランスで使い始めて、日本では海苔子さんで会うの4人目。なかなか難しいよね」

 

「難しい?」

 

「会っても『この子、全然喋る気ないなー』って子がいたり。でも、回さないと当たりは引けないからね」

 

当たり。

 

お前は自分自身を、当たりだと思っているのか?

 

その女子が喋る気をなくした理由を教えてあげようか?

お前が写真と違いすぎるからだよ!!!!!

 

私が頭の中に罵詈雑言を浮かべているのも知らず、岡崎はペラペラと喋り続けた。

 

「でも他のアプリだと、身長とか年収とか実家暮らしだとか書かなきゃいけないでしょ?Tinderはそういうの書かなくて済むからいいよね」

 

おい。

独身らしからぬ柔軟剤の匂いだと思っていたが、ガチで実家なのかよ。

実家暮らしの金なし小デブ35歳。

キツすぎる。

 

「ねぇ、政治って何?私を小5だと思って説明してみて」

 

少しでも岡崎という人間からトピックをずらしたくて、私は唐突に雑な質問を投げた。

 

私は政治に疎い。

せめて何か学んで帰ろうと思った。

 

すると岡崎は、皿に残った5貫の寿司を指して言った。

 

「ここに寿司が5つあるでしょ?これをどう分けるか考えるのが政治」

 

「算数じゃなくて?」

 

「算数だと、二人で分ければ一人当たり2.5個になるけど、平等ってそういうことじゃないじゃん。僕がここのお代を払うなら3個もらってもいいかも知れないし、唐揚げを多くもらう代わりに1個でいいです、って考え方もあるし」

 

「平等という概念について考えるのは、哲学じゃなくて?」

 

「そうそう。政治哲学っていう学問があってね…」

 

そこから先の話は、私がすっかり興味をなくしてしまったせいで覚えてない。

 

とりあえず、会計は割り勘だった。

 

年上の小デブと、小デブより収入の多い私。

 

この場合の政治的平等は、割り勘だったらしい。知らんけど。