東南アジア系ソムリエ(後編)

前編はこちら↓

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私がきょとんとしていると、サトルは慌ててその男性を紹介した。

 

「こちら、この店の経営者の○○さん」

 

私はサトルの<知り合いの社長が経営してるレストランがあって…>という一文をようやく思い出した。

 

知り合いの社長、ご本人登場である。

何この流れ、気まずい。

 

シェフと二人でこのビストロを立ち上げた社長は、普段は店にはいないものの、サトルの「今日行きます!」という連絡を受けてわざわざ顔を出しに来たらしかった。

 

「外から見たとき、綺麗な人といたから声かけようかどうか迷っちゃった」

 

社長は爽やかな笑顔で私に言った。

 

あの、私、どちらかというと社長の方に興味があるのですが…?

 

湧き上がってきた心の声に、全力で蓋をした。

 

社長はサトルと軽く立ち話をしたあと、「じゃあまた!ゆっくりしてってくださいね」と言って爽やかに去って行った。

 

私はサトルに尋ねた。

 

「どういうご関係なんですか?」

 

シンガポールのインターナショナルスクールに通ってた頃の先輩。同じ野球部だったけどあの人はずっとエースで、XXX(某総合商社)から独立して飲食店をいくつか経営してるすごい人なんだよ」

 

あの、私、どちらかというと社長の方に興味があるのですが…?(2回目)

 

「へぇ…。長い付き合いですね」

 

「そうだね。俺が起業する時もずっと相談に乗ってくれてたから、○○さんには頭が上らないよ」

 

あの、いますぐ社長をここに連れ戻してもらえませんかね…?

 

などと言えるはずもなく、私はそれから、サトルの仕事の話や好きな映画の話などをいろいろと聞き出した。

 

サトルはアツい男で野心が強く、会話の端々から仕事に対するプライドが透けて見えた。

私もエディターという自分の仕事を愛しているが、どうしてか、仕事のアツい話を延々とするサトルに少し引いてしまっていた。

 

これはもう、〜The End〜のサインである。(2回目)

 

3時間かけて長いフルコースが終わり、サトルが会計を済ませてくれた。

 

「半分出させてください」

 

私がそう申し出ると、「また次回で」と断られた。

 

次回、ないんだよ…

 

架空の約束に申し訳なさを感じつつ店を出ると、サトルは突然、ぐらっと体勢を崩した。

 

え、そんなに酔うほど飲んだ?

ソムリエなのに弱いの!?

 

一瞬驚いたが、サトルはずっと、ぐらついた体勢のまま同じテンポで歩き続けている。

 

あ、そうなんだ。

これ、ふれない方が不自然だよな…?

 

私は若干迷いながらも尋ねた。

 

「足が悪いんですか?」

 

サトルは変わらずニコニコして言った。

 

「バレちゃいました?実は麻痺が残ってるんです」

 

「そうなんですね」

 

私はなるべく明るい声で返した。

 

「野球部の頃はどうやって…?」

 

「プレイヤーじゃなくて、戦略を練ったりするポジションにいました」

 

彼は先ほど、あたかもプレイヤーであったかのような口調で、野球部の思い出を語っていた。

 

野球部の先輩でもあった社長へのまなざし。

自分には成し得ない理由があるからこその、敬意と羨望と。

 

…切ねぇ。

 

サトルの並々ならぬ野心の謎が、一瞬で解けたような気がした。

 

駅まで着くと、私はできる限りの明るさで言った。

 

「今日はご馳走さまでした。ではまた!」

 

あのあと「次回」がなかった理由を、彼はどう分析したのだろう。

そのことを考えると、私は今もしんどい。

 

神保町の古い喫茶店サブカルクソ男とのくだらない会話を、あれほど恋しく思った夜はなかった。