台風を突っ切ったと思しき飛行機はけっこう揺れたが、私は無事に帰国した。
さっそくタクヤに連絡して、会社の近くにできた新しいフレンチが気になっていると伝えると、彼はそこにしようと快諾した。
前回会った時は、最低限の貨物用フライトだけをこなし暇そうにしていた彼だったが、今は文字通り世界中を飛び回っていて忙しそうだった。
少し遅れて到着したタクヤに旅行のおみやげを渡し、旅の話や仕事の話をひと通りした後、ふと感じた。
なんだか今日は、聞けそうだ。
タクヤが住んでいるマンションの話を始めた時、今だ、と思った。
「一人だよね…?」
彼はほんの一瞬、ドキッとしたような表情を見せてから答えた。
「一人だよ」
「そっか」
「海苔子は?」
10年以上に及ぶ長い長い付き合いの中で、私たちは初めて、現在進行形で恋愛の話をした。
「一人だよ。残念ながら笑 CAと付き合ったりとかないの?」
「あ、一回だけある」
「いつ?何で別れちゃったの?」
タクヤと、恋愛の話をしている。
私は密かに感動していた。
10年かかった。
こんな、どこの男女だってしている会話ができるようになるまで、10年もかかったのだ。
「…海苔子は直近だといつまで彼氏いたの?」
「1年ちょっと前かな」
「どんな人だった?どこで知り合ったの?」
タクヤに、恋愛の話を振られている。
やっと聞いてくれた。
やっと聞いてくれた。
そう思った瞬間、ずっと聞いてほしかったのだと気づいた。
元彼はTinderで知り合った人だったが、正直に言うのは憚られて「アプリで知り合った」とだけ伝えた。
「アプリねー、やったことないんだよね。後輩からやれってすごい言われるけど」
アプリやったことないのか…マジか…いいな。
そういう人、いいな。
「やっぱパイロットってモテるの?」
「モテると思ってたけど、そうでもない笑 土日休みじゃないし、時間も不規則だからあんま出会いもなくて」
私はこの頃、Tinder楽しい!面白い人にいっぱい会えて幸せ!と思いながらも、まともな恋愛がしたいという本来の目的を叶える手段としては、ひどく非効率なのではないかと疑い始めていた。
なんせ、続かないのである。
3回一緒に食事をしたくらいで「付き合いますか?会うのやめますか?」と決断を迫られることも、そうして安易な決断を下した結果ミスマッチが大量に発生しているマッチングアプリの仕組み自体にも、疑問を感じていた。
その点、タクヤは。
ヤバいところが山ほどあるのは知ってるけど、全部知ってるから逆に安心かもしれないな。
そんな考えが頭を過った。
「俺、あと◯年で機長昇格試験があるんだよね」
「え、もうそんな歳?」
「うん。合格したら、年収◯千万になる」
ひょ…ひょえぇぇ。
思っていた以上の額に引いた。
こいつがマッチングアプリなんか始めたら、バツイチだろうが何だろうが秒で消えるだろうな。
あ、そういえばまだ離婚のこと聞いてない。
どうしよう。
どうやって聞こう。
…こっそり2回もFacebook見たとか、さすがに言えねぇ。
私はまたも、その話ができないまま店を出た。
店はオープンしたてだったためネットに情報が少なく、いざお会計をすると奢ってもらうには気が引ける価格帯だった。
少しは払わせてと言ったが受け取ってもらえなかったので、私は提案した。
「もうすぐ誕生日だよね?その時に私の奢りでごはん行かない?」
「覚えててくれたんだ。ありがとう。うん、今日はいいからそうして」
かつて、神に祈るほど好きだった男の誕生日を、忘れるはずもなかった。
酔い覚ましに、30分ほどの距離を歩いて帰ることにした。
タクヤも「ダイエットがてら一緒に歩く」と言ってついてきたので、二人で夜道を歩いた。
半分ほど来たあたりで、赤信号で立ち止まった。
「あの、10年前のことなんだけどさ、」
私は息を大きく吸って、答え合わせを始めた。
続く。