慶応卒、大手通信会社からIT系ベンチャー企業へ転職して間もない斉藤(仮名・31歳)は、写真で見る限り顔面偏差値は低いものの、スタイルが良くオシャレだった。
趣味は漫画と瞑想。
瞑想。
彼はかつて、広島県は宮島で開催された瞑想合宿に10万円を払って参加し、以来、瞑想が習慣になっているという。
<瞑想を始めてから思考の解像度が上がって、モヤモヤしていることを言語化できるようになってスッキリしましたよ。おすすめです>
スティーブ・ジョブズ的な意識の高さに恐れ慄きつつ、私はお決まりの質問を投げた。
<好きな本を教えて>
<漫画でもいいですか?今◯◯で連載中のXXXXって作品があって…>
漫画を読まない私は斉藤の返信を軽く流したが、さらに会話を続けていると職場が近いことが発覚し、じゃあ飲みに行きましょうという話になった。
お互いの出社日に合わせようと日程を探っていると、斉藤はなぜか休日の夜を希望した。
<なんでやねん>
危うくそう返信しそうになったが、私はすぐに彼の隠れた意図に気づき、要求を呑むことにした。
おそらく斉藤は、職場には着ていけない、完璧な私服を見せたがっているのだ。
そうしてやってきた土曜の夜。
現れた斉藤は高そうなモノトーンファッションに身を包み、差し色に命かけてますと言わんばかりにパンツの裾から派手な靴下を覗かせていた。
いいよそういうの、嫌いじゃないよ。
斉藤は日々の瞑想の成果なのか、落ち着いて理路整然と話す男だった。
知的な会話は楽しかったが、そのタイプの男性にありがちな、恋愛について話しづらい雰囲気を醸し出してもいた。
そして、面と向かって喋るほどに私は気づいてしまった。
まずい、彼の顔が好きではない。
身長と髪型と才能で誤魔化している川谷絵音のような男性はとても好きだが、斉藤はなんというか、全く誤魔化しきれていない。
顔を見るたび一抹の虚無感を覚えながら2時間ほど飲み、別れ際。
駅の改札前で、斉藤は鞄から書店のビニール袋を取り出した。
「これ、話してた漫画持ってきた。とりあえず1巻だけ読んでみてくれない?」
おい待て、返すためにもう1回会えってこと?
「でも、返すのいつになるか分かんないし」
私がやんわり拒否しようとすると、「いつでもいいし、何だったら返さなくてもいいから」と、半ば強制的に漫画を持ち帰らされた。
私の性格上、返さないという選択肢はなく、後日、漫画を返したいと斉藤に連絡をした。
<じゃあ、今度はランチでも行きましょうか!いつ空いてます?>
<次、2巻も持っていきましょうか?>
以前より若干テンションの高い文面に苛立った。
私の連絡=脈アリと判断したなら、お前の解像度の値はひどくずれている。
もう一度、瞑想合宿に参加した方がいい。
私は2巻は持ってくるなと釘を刺し、1巻を持参して斉藤に再会した。
その日も斉藤は、差し色に命かけてますと言わんばかりに派手なスニーカーを履いていた。
もういいよそういうの、今となっては嫌いだよ。
無難な会話をしながらランチを済ませ、「あまりハマらなかった」と正直すぎるほど正直に漫画の感想を伝え、1時間少々で解散した。
善良な民に強制的にモノを貸すの、ダメ。ゼッタイ。
「返さなくてもいいよ」と君が言ったから
十月九日は強制貸与撲滅記念日