<東京藝大卒、31歳、経営者。CMや映画を作ったりしてます。>
正岡子規を彷彿とさせる横顔モノクロ写真。
決してイケメンではないが、銀縁メガネと髭で醸し出した業界人っぽい雰囲気。
そして何より東京藝大…!
私がどこよりも憧れる大学だ。
<自営だから時間は融通が効く>という正岡に、明日コーヒーを飲みに行かないかと誘うと、二つ返事で行きますと返ってきた。
待ち合わせは14時に蔵前のカフェにした。
ところが約束の5分前、正岡から連絡が。
<すみません。仕事トラブっちゃって30分遅れます。初回だから絶対遅刻したくなかったのに、本当にすみません。>
<ぶらぶらしてるから平気だよ。ごゆっくり>
30分は正直きちぃな、と思いながら、蔵前の街を散策して時間を潰した。
30分後。
初めて見るカラー版の正岡は、寿司の柄のシャツを着た軽めのブサイクだった。
席に着くや否や、正岡はMacBook Proを広げ、
「あとファイル送るのだけ残ってて、すみません」
とギガファイル便を開いて何やらアップロードし、メールを打ち始めた。
たまたま横並びの席に案内されたこともあり、パソコンの画面が丸見えだ。
アップして送るだけならすぐ終わるだろうと、コーヒーを飲みながら正岡の作業を横目で見ていると、彼はあっけらかんと話してくれた。
「今XXXテレビの△△ってドラマの編集やってて、これはDVD版の編集データ。俺、映像制作会社の代表やってるんだけど、こういう仕事をよく受けるんだ」
ファイルをアップロードをしながらも、件のドラマの編集がまだ残っていたのか、正岡は別画面で編集作業を始めた。
時折思い出したように「海苔子さん大学はどこ?」などと、画面を見つめたまま質問を挟んでくる。
片手間に相手をされるのって、不快★
そう思いつつも質問に答え、正岡に質問で返す。
「正岡さんは藝大の頃から映像作ってたの?」
彼は「あっ」というような顔をした。そして、
「ごめんあれ嘘で、本当は◯◯大学ってとこ」
と、明らかにレベルの違う地方の美大の名前を挙げた。
まさかの学歴詐称にドン引いた気持ちを「へぇ…」と苦笑いで誤魔化していると、正岡は慌てて付け足した。
「でも東京藝大も受かってたんだよ。経済的な事情で◯◯に行ったけど」
ほんまかいな。
それから正岡は平然とした顔でスマホをちらりと見ると、
「やば、めちゃくちゃ着信あった」
とひとりごとを呟き、その場で折り返し電話をかけ始めた。
「一本電話していい?」の一言もなく、そもそもカフェ店内での電話はマナー違反である。
さらに冷えていく気持ちを、同じように冷えていくコーヒーで流し込みながら、正岡の会話に耳を傾ける。
会社のスタッフと話しているようだが、終わる気配がない。
10分ほど正岡は電話を続け、私は窓の外を静かに眺めるだけの謎の時間が過ぎた。
帰りてぇ…
私がはっきりとそう思った瞬間、正岡はスマホを耳に当てたまま席を立ち、外に出た。
財布もパソコンも席に置きっぱなしだ。
無頓着が過ぎる。
この間に千円札を置いて帰ってやろうかと一瞬考えたが、正岡は出口にいるのだろうし…と思い直し、私は持参していた本を読み始めた。
しばらくすると正岡は「ごめんごめん」と言いながら戻ってきて、私の手元を見て尋ねた。
「何読んでるの?」
「綿矢りさの新刊だよ」
「あー、いいよね綿矢りさ。年下なんだよね」
「え?けっこう年上じゃない?綿矢りさが芥川賞受賞したとき、私たちまだ中学生じゃなかった?」
正岡は「いやいやそんなことないって」と全力で否定し、少しの間を空けて尋ねた。
「俺83年生まれだけど海苔子さんは?」
は…83年だと!?
「え、31歳じゃないの?」
「え?」
「同い年だと思ってたけど」
「あ…あー!ごめん!アプリ、俺の後輩が勝手に登録したから、ちゃんと見てなくて。俺31歳になってた?ごめん。本当は38」
学歴詐称、年齢詐称、電話中の放置、片手間の会話、30分の遅刻。
ひどい。これはひどい!!!!!
カフェに滞在した約1時間半のうち、まともに会話をしたのはどのくらいの時間だったろう。
わからないが、もはやどうでもいい。
最後にひとつだけ褒めてやろう。
正岡の見た目は若く、とても38歳には見えなかった。
きっとその図太い神経と、寿司シャツのおかげだと思う。