学歴、職業不詳、29歳、名前は幸彦(仮)。
私はこれまで、学歴と職業が両方書かれていない人を全て避けてきたが、幸彦のプロフィールに書かれた一文に心を掴まれた。
<文学とお笑いの話なら永遠にできます>
黒髪マッシュで鼻が高く、顔がタイプだった。
ちょっと会ってみたい。
マッチングして文学の話を振ると、幸彦は丁寧な返信をくれた。
<海苔子さんは○○○って読んだことありますか?あれに収録されたXXXXという掌編がすごく好きで>
幸彦が挙げたのは、とある作家のコアなファンしか手に取らないであろうマニアックな作品。
そして私が一番好きな掌編だった。
これは…運命では?
我ながらおめでたい思考回路だが、あの作品の魅力を共有できるというだけで、とても良い関係を築けそうな予感がした。
話をすすめるうち、幸彦の文章はタメ口になり、徐々に関西弁が出始めた。
<よかったらお茶か飲みにでも行かへん?>
<いいよ>
私は即答し、浅草の喫茶店で待ち合わせることになった。
幸彦は写真のままのシュッとしたイケメンだったが、世間的にオシャレと呼ばれるのかわからない独特なファッションに身を包んでいた。
チャットで趣味の話ばかりしていた私たちは、まるで昨日も会ったクラスメートのように「あの番組観た?」という話題で盛り上がった。
会話は楽しかった。とても。
しかし私はすぐ、あることに気づいた。
幸彦のイントネーションが、完全に関東のそれなのである。
「あれ、関西弁じゃないんだ…?」
聞くと、幸彦はあっさりと答えた。
「生まれも育ちも埼玉だけど、じいちゃんが大阪に住んでたから、たまに関西弁が出るんだよね」
…じいちゃん?
薄い。
薄すぎる。
フグ刺しくらい薄いわ?
幸彦のエセ関西弁が確定したその瞬間、私の心はキンキンに冷えた。
努力して方言を矯正した地方出身者にとって、エセ方言ほど腹の立つものはない。
それでも幸彦の顔と感性が好きだった私は、もう少し様子を見ようと決めて、さらに話題を振った。
「幸彦君は自分で何か創ったりはしないの?」
「小説は1回挑戦したけど最後まで書けなかった。唯一続いてる創作は、俳句だけかな」
「俳句?」
「うん。俳句専用のTwitterアカウント作って、ほとんど毎日つぶやいてる」
目の前の冷凍フグ刺しが、ほんの少し解凍された。
「見たい。見せて」
「嫌だよ」
「私は去年、小説のコンペで3次選考まで残ったから、そのうちデビューするよ。今のうちに恩を売っといた方がいいよ?」
冗談で言ったつもりだったが、幸彦は真に受けたらしい。
「△△△って検索したら出ると思う。恥ずかしいから後で見てよ」
普通にアカウント名を教えてくれた。
LINEを交換して解散するやいなや、私は電車で幸彦の俳句アカを探した。
フォロワー数は2桁、毎日俳句だけをつぶやくストイックなアカウントだった。
つまり、あまり面白くはなかった。
解凍しかけたフグ刺しを、私は再び冷凍庫にぶち込んだ。
だけど私は、アカウント名を教えてくれた幸彦を素直に尊敬する。
何かを創って、それを発表すること自体が、とても勇気のいることだから。
もう会わないであろう幸彦に、私も一句捧げよう。
偽筆にて
凍てつくフグ刺し
夢の跡
お後がよろしいようで。