1回飲みに行っただけの男と海外旅行に行った話⑨

本当はひとりで梨泰院のルーフトップバーにでも行こうかなと思っていたが、3万溶かした後ではとてもそんな気になれなかった。

 

思ったより遅い時間になってしまったこともあり、ホテルの近くのスーパーに閉店間際に駆け込み、会社で配るお土産のお菓子だけ買って戻った。

 

22時を過ぎていた。

 

海外旅行先で欠かさずつけている日記帳を開き、これまでの人生に思いを馳せる。

 

私は、器用な子どもだった。

勉強もスポーツも芸術も周りの子よりできて、学級委員を務めるほどの社交性もあり、見た目のわりにモテた。

 

そんな自分がカジノで雑魚になり、中華系おじさんの養分になり、3万円を溶かした。

 

「神はいない」から始まる大袈裟な日記に、3万円分以上の学びを書き殴り、シャワーを浴びて荷物を整理し、布団に潜り込んだ。

 

…眠れぬ。

 

頭の中でカジノの光景が蘇り、「あの時ああしていれば」が鳴りやまない。

 

強いカードが配られた直後の、心臓の音がリピートされる。

あの時ベットしていれば。あの時コールしなければ。

一生答え合わせのできない「選ばなかった方の未来」は、いつだって輝いて見える。

ポーカーは、まるで人生のよう。

生きることは選ぶことだ。

 

大袈裟な思考を巡らせ、うつらうつらしながら長い夜を過ごしていると、突然「バンッ!!!」という破裂音が聞こえて飛び起きた。

 

え、銃声!?!?

事件!?確かにここはラブホ街だけど!?

 

かなり近くで鳴った気がするが、しかしどうすることもできない。

 

早く朝になれと願いながら目を閉じ、翌朝、目覚ましの音で起き上がった。

 

ブラインドを開けて部屋を見渡すと、赤いハートのバルーンが、へしゃげて床に落ちている。

銃声の正体は、雑貨屋の兄ちゃんに昨日もらったバルーンが割れた音だった。

 

笑ってしまった。

 

破裂したハートをゴミ箱に放り込み、近所のカフェで朝食を済ませ、空港に向かう。

 

道中、桜井に「起きてる?」とLINEをすると、ちょうど私と同じくらいの時間に着きそうだと返信があった。

 

空港で桜井と合流し、見るからに眠そうな彼に尋ねた。

 

「勝った?」

 

「この2日間のトータルで、プラス2万かな」

 

すげぇ。

今となっては、プラスどころかトントンになるだけでもすごいと思う。

 

「全然寝てないんだよね?大丈夫?」

 

「もう最後の方は寝ながらやってたよ」

 

彼は2日間で約27時間ポーカーをしていたらしい。

 

「海苔子さん、朝ごはん食べた?俺、昨日のサンドイッチから何も食べてなくて。お腹減った」

 

「ビュッフェ行かなかったの?」

 

「あ、忘れてた」

 

狂っている。

さすがに。

 

そうして私たちは空港のレストランで昼食を済ませ、飛行機に乗り込んだ。

 

桜井は飛行機の中で爆睡していたので私は本を読んでいたが、降りて一緒に京成線に乗ってから、彼はよく喋った。

 

あれおいしかったよね、楽しかったねと、多くはないソウルの思い出を振り返りつつ、全く関係のない本やお笑いの話もたくさんした。

 

「私、ちゃんとポーカーを勉強しようと思う。そしていつか取り返す」

 

「それならこの本を読んだらいいよ」

 

桜井がポーカーのテキストを教えてくれたので、ネットですぐに購入した。

 

彼が降りる駅が近づき、私はあらためて礼を言った。

 

「本当楽しかった。刺激的な旅だったよ。ありがとう」

 

「こちらこそ。またね」

 

降りようと立ち上がった彼に、私は座ったままハイタッチの要領で右手を上げた。

彼は自分の右手を合わせ、そのまま指をギュッと握った。

 

あれ。

ちょっと、切ないかも。

 

この1カ月ほぼ毎日連絡を取っていたが、それももう終わる。

 

これはもしかすると、永久の別れだろうか?

また会うか。さすがに。

いや、どうだろう。

 

それから、3カ月。

 

私たちはその後ずっと、かなりの頻度で連絡を取っている。

どうでもいい内容ばかりだ。

来週は久しぶりに飲みに行く。

このやり取りもいつか終わるのだろうと思うと、少し切ない気持ちにはなる。

 

だけどこれは、恋愛感情ではない。

 

<終>