本当はひとりで梨泰院のルーフトップバーにでも行こうかなと思っていたが、3万溶かした後ではとてもそんな気になれなかった。
思ったより遅い時間になってしまったこともあり、ホテルの近くのスーパーに閉店間際に駆け込み、会社で配るお土産のお菓子だけ買って戻った。
22時を過ぎていた。
海外旅行先で欠かさずつけている日記帳を開き、これまでの人生に思いを馳せる。
私は、器用な子どもだった。
勉強もスポーツも芸術も周りの子よりできて、学級委員を務めるほどの社交性もあり、見た目のわりにモテた。
そんな自分がカジノで雑魚になり、中華系おじさんの養分になり、3万円を溶かした。
「神はいない」から始まる大袈裟な日記に、3万円分以上の学びを書き殴り、シャワーを浴びて荷物を整理し、布団に潜り込んだ。
…眠れぬ。
頭の中でカジノの光景が蘇り、「あの時ああしていれば」が鳴りやまない。
強いカードが配られた直後の、心臓の音がリピートされる。
あの時ベットしていれば。あの時コールしなければ。
一生答え合わせのできない「選ばなかった方の未来」は、いつだって輝いて見える。
ポーカーは、まるで人生のよう。
生きることは選ぶことだ。
大袈裟な思考を巡らせ、うつらうつらしながら長い夜を過ごしていると、突然「バンッ!!!」という破裂音が聞こえて飛び起きた。
え、銃声!?!?
事件!?確かにここはラブホ街だけど!?
かなり近くで鳴った気がするが、しかしどうすることもできない。
早く朝になれと願いながら目を閉じ、翌朝、目覚ましの音で起き上がった。
ブラインドを開けて部屋を見渡すと、赤いハートのバルーンが、へしゃげて床に落ちている。
銃声の正体は、雑貨屋の兄ちゃんに昨日もらったバルーンが割れた音だった。
笑ってしまった。
破裂したハートをゴミ箱に放り込み、近所のカフェで朝食を済ませ、空港に向かう。
道中、桜井に「起きてる?」とLINEをすると、ちょうど私と同じくらいの時間に着きそうだと返信があった。
空港で桜井と合流し、見るからに眠そうな彼に尋ねた。
「勝った?」
「この2日間のトータルで、プラス2万かな」
すげぇ。
今となっては、プラスどころかトントンになるだけでもすごいと思う。
「全然寝てないんだよね?大丈夫?」
「もう最後の方は寝ながらやってたよ」
彼は2日間で約27時間ポーカーをしていたらしい。
「海苔子さん、朝ごはん食べた?俺、昨日のサンドイッチから何も食べてなくて。お腹減った」
「ビュッフェ行かなかったの?」
「あ、忘れてた」
狂っている。
さすがに。
そうして私たちは空港のレストランで昼食を済ませ、飛行機に乗り込んだ。
桜井は飛行機の中で爆睡していたので私は本を読んでいたが、降りて一緒に京成線に乗ってから、彼はよく喋った。
あれおいしかったよね、楽しかったねと、多くはないソウルの思い出を振り返りつつ、全く関係のない本やお笑いの話もたくさんした。
「私、ちゃんとポーカーを勉強しようと思う。そしていつか取り返す」
「それならこの本を読んだらいいよ」
桜井がポーカーのテキストを教えてくれたので、ネットですぐに購入した。
彼が降りる駅が近づき、私はあらためて礼を言った。
「本当楽しかった。刺激的な旅だったよ。ありがとう」
「こちらこそ。またね」
降りようと立ち上がった彼に、私は座ったままハイタッチの要領で右手を上げた。
彼は自分の右手を合わせ、そのまま指をギュッと握った。
あれ。
ちょっと、切ないかも。
この1カ月ほぼ毎日連絡を取っていたが、それももう終わる。
これはもしかすると、永久の別れだろうか?
また会うか。さすがに。
いや、どうだろう。
それから、3カ月。
私たちはその後ずっと、かなりの頻度で連絡を取っている。
どうでもいい内容ばかりだ。
来週は久しぶりに飲みに行く。
このやり取りもいつか終わるのだろうと思うと、少し切ない気持ちにはなる。
だけどこれは、恋愛感情ではない。
<終>