黒髪マッシュ、30歳、職業は建築設計。
出身大学は私と同じで、名前は彰人(仮)といった。
プロフィール文は空っぽだったが、同じ大学の黒髪マッシュを全員右スワイプしていた私は、ご多分に漏れず彼とマッチした。
<もしかして、大学で演劇やってました?>
彰人からそんなメッセージがきて、ドキッとした。
聞くと、同じ演劇サークル出身だという。
顔を出さず偽名でTinderを使っている私の正体に彼は気づいてはいなかったが、私もまた、彼に見覚えがなかった。
しかし、年齢的には同じ時期にいたはずだ。
え、誰??
私は彼のプロフィールのスクショを撮り、心の中で謝罪しながら女子グループLINEに投下した。
彰人の本名はすぐに分かった。
どうやら、彼の浪人により在籍時期はかぶってないらしい。
一方的に知られている状態は気持ちが悪いだろうと思い、私は自分の本名を伝え、ついでにFacebookで共通の友達が42人いたことも伝えた。
<世界狭いっすね。笑 よかったら電話で話しませんか?>
これはちょっと運命的かもしれない。
私はすぐにLINEを交換し、彰人と通話した。
経歴を尋ねると、彼は大学を出て大手電機メーカーに就職したが、現在は夜間大学に通いながら建築の勉強をしているという。
「何で急に建築に興味をもったわけ?」
「俺、入社からずっと経理なんですよ。いい会社だけど、このまま経理だけで人生終わるの嫌だなと思って、26歳の時に『13歳のハローワーク』を初めて読んだんです。それで、建築家いいじゃんと思って」
大学に入り直すという莫大な時間とお金の投資に対して、動機が浅すぎて笑った。
26歳が転職を考えた時に手に取るべきものは、『13歳のハローワーク』ではない。
タイトルで気付け。
それでも、大量に共通の知人がいると話は尽きず、気づけば2時間半も喋っていた。
「めちゃくちゃ喋ったね。そろそろ寝るよ」
電話を切ろうとすると、彰人は言った。
「俺、どうですか」
「どうって?」
「今日けっこう盛り上がったじゃないですか。だから今度、飲みに行きません?」
「あ、うん。是非」
3日後。
彰人がたまたま私の家の近くで用事があるというので、飲みに行くことになった。
現れた彰人は、ほとんど目が見えないくらい前髪を伸ばしていて、サブカルクソ男のオーラに満ちていた。
「米津以外が米津みたいな髪型すな」
粗品のツッコミが頭を過ぎる。
目星をつけていた居酒屋に入ると、彰人は開口一番こう言った。
「先輩。出会いはTinderですけど、俺そういう目的じゃないんで」
「そういうって?」
「え?」
「どういう?」
「…え?」
電話でのなめらかな会話からは想像もつかないほど、変な空気が流れた。
今すぐスマホのカメラをONにして、同期に中継したい。
リポーターの海苔子です。
現場のサブカルクソ男は私を「先輩」と呼んできて、「あのサークルで一番モテるタイプですよね」などとヨイショしてきます。
何が目的なのでしょうか?
奢ってほしいのでしょうか?
もう少し取材を続けたいと思います。
スタジオにお返ししま~す!
脳内リポートをしながら彼の話を深掘りしたが、どうやら私たちのピークは電話で話した時に過ぎてしまったらしい。
思いのほか盛り上がらなかった。
それどころか、前髪で顔の造形を誤魔化し、学歴をひけらかしてTinderで女を漁る彰人に、だんだん腹が立ってきさえした。
2時間ほど飲んで会計を頼むと、7500円。
5千円札しかなかったのでとりあえず出すと、彰人は何も言わずに自分の財布から3千円を出して店員に渡し、お釣りを自分の財布にしまってこう言った。
「ご馳走様です!」
いや、釣りくれよ。
お世話になった後輩ならともかく、初対面だろ、お前。
何が目的だったのかさっぱり分からない無駄な2時間を誰かに共有したくて、私は帰るとすぐ同期に電話をかけた。
同期に笑ってもらえると、元気が出た。
翌日。
彰人からLINEがきた。
<海苔子さんがおすすめしてた本のタイトル、何でしたっけ?>
<これ。彰人君みたいな人は、読んだ方がいいよ>
私はこのブログのリンクをコピペして、送信の一歩手前で消した。