結婚をあきらめた航海士

国立大卒、航海士、33歳、名前は俊介(仮)。

 

<休暇中で陸にいます。仕事柄、出会いがありません。>

 

短いプロフィール文にはそうあり、海or陸の2軸というカエルのような人生観に興味を惹かれてマッチした。

今回の休暇は3ヶ月。

実に10ヶ月ぶりの帰国だという。

 

会う前のチャットで、俊介はこう書いていた。

 

<恋愛と結婚は正直あきらめてる。こっちは良くても、陸にはいくらでも出会いがあるから難しいんだ。君は?>

 

キミ、というキザな呼び方に「村上春樹かよ」と返信しそうになるのを堪え、私たちは「よければお友達に」という前提で会うことになった。

 

ポパイのような大男が現れると思っていたが、実物の俊介は、意外と小柄で肌が白かった。

 

彼は国立のそこそこ偏差値の高い大学を出ていたため、不思議に思い経歴を訪ねる。

 

パイロットと同じで自社養成枠があって、それで入ったんだ。もちろん海洋大学か専門を出てる子の方が多いけど」

 

「へぇ、何で航海士になろうと思ったの?」

 

「就活しなきゃって時に、どうにもスーツを着て会社に通うイメージが湧かなくて。ちょっと変わったことがしたいなって思ったんだよね。本当にただそれだけの理由」

 

海を愛するアツい漢のイメージをぶち壊す、ゆとり世代みあふれる理由。

それでも彼は航海士を10年続けているのだから、大したものである。

 

航海士のライフスタイルは、海に出る→帰国して数ヶ月休み→海に出る、の無限ループだという。

客船ではないので船内の設備は整っておらず、ネットは弱すぎてLINEでテキストを送るのがギリ。シャワーからは冷たい海水が出て、医者はいないので何かあれば常備薬でなんとかするしかない。

 

「けっこう過酷なんだね。仕事以外は何してるの?」

 

「ネットはほぼ使えないから、出航前にハードディスクに落としておいた映画を観たり、あとは船内で買える雑誌と本をひたすら読んでるかな。新しい番組は観れないから、帰国するたびに知らない人が出てる」

 

令和の浦島太郎、ここにあり。

 

「停泊したら港町くらいは歩けるんだよね?」

 

「コロナ前はね。今はそれも禁止されてるから本当に退屈」

 

なるほど確かに。

船内で感染者が出れば、ダイヤモンド・プリンセス号・アゲインだ。

 

「それは辛いね。海上で危険な目に遭ったりはしないの?」

 

「うーん…あまりないかな。海賊はたまにいるけど」

 

海賊…!!!!!

映画の世界かよ。

 

「あれって昔の話じゃないんだ?」

 

「うん。急に海賊が飛び乗ってきて、船員が人質に取られた話はたまに聞く。でも、すしざんまいの社長のおかげで、数は減ってるみたい」

 

カリブ海ジャック・スパロウから、築地のすしざんまいへ。

くるくると異世界に飛ぶ彼の話は、万華鏡のようだった。

 

「…どういうこと?笑」

 

「海賊の多いソマリア沖はマグロがよく獲れるから、すしざんまいの社長が海賊に漁業を教えて、マグロを買い取るようにしたんだって。それで貧困から脱出できた海賊が消えたらしい」

 

私がかつて築地で食したマグロは、元海賊がソマリアで獲ったものだったのかも知れない。

あぁ、世界はこうして繋がっているのだ。

 

謎の感慨に耽った私は、また休暇中に暇を持て余したら会いましょうと言って、俊介と連絡先を交換した。

 

「出航前って、どんな気持ちになる?」

 

私が尋ねると、俊介は笑ってこう言った。

 

「明日は月曜かー、って思うと少し憂鬱になるでしょ?それの1年分」

 

なるほど、死にたくなるらしい。

 

それでも彼はきっと、並々ならぬストレス耐性を備え、毎日食卓にカレーが出てきても平気で、僅かな娯楽さえあれば、ひとりでも楽しく生きていけるのだろう。

 

恋愛や結婚って、人生に必ずしも必要なものじゃないよね?

私はふと、そんな質問を彼に投げたくなった。

 

だけど真昼間の喫茶店は、人生について話すには少し明るすぎた。